最高裁判所第一小法廷 昭和41年(行ツ)46号 判決 1972年12月14日
上告人
渡辺平吉
上告人
有限会社平和堂
右代表者
渡辺平吉
右両名訴訟代理人弁護士
海谷利宏
右両名訴訟代理人弁理士
河野克己
渡辺徳広
被上告人
特許庁長官
三宅幸夫
右補助参加人
全国米菓工業組合
右代表者
中出稔
右訴訟代理人弁理士
梅村明
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人海谷利宏、同河野克己、同渡辺徳広の上告理由について
一原判決が本件の具体的な事実関係のもとにおいて上告人らの求める本件の訂正が許されないとした理由は、次のとおりである。
1 本件明細書の特許請求の範囲の項に記載された第一工程中の餅生地の冷蔵温度は、本件特許発明の構成に欠くことができない事項の一である。
2 特許請求の範囲の項その他に記載された右の冷蔵温度「3乃至5°F」をC(摂氏温度)に換算すると、ほぼマイナス16.1度乃至マイナス15.1度Cに相当し、「3乃至5C°」とのあいだに著しい差が存するのであつて、この温度差はその後の工程を経た焼成品に著しい差異を及ぼすものである。
3 右の第一工程における冷蔵温度は、本件明細書の全文(すなわち、発明の詳細なる説明、特許請求の範囲の各項)を通じて、一貫して「3乃至5°F」と記載されている。
4 上告人らの指摘にかかる個所その他明細書の全文等を参酌しても、本件特許発明の目的およびこれを達成するにつき上告人ら所望の温度を必要とする理由ないし理論を窺知しうるにとどまり、これによつて、明細書訂正の前後を通じ、当業者が容易に前記温度上の差異を無視しうるものとは、とうてい解し難い。
二原判決が本件において誤記の訂正が許されないとした理由は、右のとおりであるが、原判決は、右の説示に先だつて、特許法(以下単に法という)一二六条二項の趣旨につき一般的に言及するところがあり、論旨は、主として、右の一般的説示についての論難であるので、まずこの点について検討することとする。
論旨は、原判決が、法七〇条および一二八条を論拠として、法一二六条二項は、誤記の訂正についても一定の制限を設けて、表示を信頼する第三者の立場を保護する趣旨のものであり、したがつて、明細書の特許請求の範囲の項に記載された当該発明の構成に欠くことができない事項について、その内容、ことに範囲・性質等を拡張または変更するような訂正は許されないとした判示を非難し、特許発明の範囲はその特許明細書によつてこれを定めるべく、特許明細書を解釈判断するにあたつては、その記載した特許請求の範囲等の字句に拘泥することなく、発明の性質および目的または発明の詳細な説明等と相待つて新規な考案の旨意を明らかにし、もつて特許権の範囲を定めるべきものである(大判大正一一年一二月四日民集一巻六九七頁等参照)にかかわらず、原判決が、本件明細書の全文を通じて実質的に解釈することなく、単に「3乃至5°F」を「3乃至5°C」と訂正することは、特許請求の範囲に記載された本件特許発明の構成に欠くことができない事項の一の変更であるから許されないと形式的に判断したのは違法である、と主張する。
しかしながら、法は、特許出願に際し、願書に添附すべき明細書の「特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない」(三六条五項)ものとし、また、「特許発明の技術的範囲は、願書に添附した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない」(七〇条)ものとするのであつて、明細書中において特許請求の範囲の項の占める重要性は、とうてい発明の詳細な説明の項または図面等と同一に論ずることはできない。すなわち、特許請求の範囲は、ほんらい明細書において、対世的な絶対権たる特許権の効力範囲を明確にするものであるからこそ、前記のように特許発明の技術的範囲を確定するための基準とされるのであつて、法一二六条二項にいう「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するもの」であるか否かの判断は、もとより、明細書中の特許請求の範囲の項の記載を基準としてなされるべきであり、本件訂正の許否につき、原判決が特許請求の範囲に表示された発明の構成に欠くことができない事項を重視したことは、もとより相当といわなければならない。論旨引用の判例は本件に適切でない。
三おもうに、訂正の審判が確定したときは、訂正の効果は出願の当初に遡つて生じ(法一二八条)、しかも訂正された明細書または図面に基づく特許権の効力は、当業者その他不特定多数の一般第三者に及ぶものであるから、訂正の許否の判断はとくに慎重でなければならないのが当然である。
原審の確定事実に照らして本件を観るのに、上告人らが訂正を求める「3乃至5°F」の記載は、特許請求の範囲における発明の構成に欠くことができない事項の一であつて、その記載が「3乃至5°C」の誤記であることは被上告人の争わないところであるとはいえ、本件における特許請求の範囲の項に示された第一工程中の餅生地の冷蔵温度を「3乃至5°F」とする記載は、それ自体きわめて明瞭で、明細書中の他の項の記載等を参酌しなければ理解しえない性質のものではなく、しかも、「3乃至5°F」と「3乃至5°C」との差は顕著で、その温度差はその後の工程を経た焼成品に著しい差異を及ぼすものであるにもかかわらず、明細書の全文を通じ一貫して「3乃至5°F」と記載されており、当業者であれば容易にその誤記であることに気付いて、「3乃至5°C」の趣旨に理解するのが当然であるとはいえないというのである。これによると、前記の「3乃至5°F」の記載は、上告人らの立場からすれば誤記であることが明らかであるとしても、一般第三者との関係からすれば、とうていこれを同一に論ずることができず、けつきよく、右記載どおり「3乃至5°F」として表示されたのが本件特許請求の範囲にほかならないといわざるをえないのである。
以上説示するところによれば、本件の場合、特許請求の範囲の「3乃至5°F」の記載を「3乃至5°C」と訂正することは、本件明細書中に記載された特許請求の範囲の表示を信頼する一般第三者の利益を害することになるものであつて、実質上特許請求の範囲を変更するものというべく、法一二六条二項の規定により許されないところといわなければならない。したがつて、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、論旨はすべて理由がない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(岸盛一 大隅健一郎 藤林益三 下田武三)(岩田誠は退官につき署名捺印することができない)
上告代理人海谷利宏、同河野克己、同渡辺徳広の上告理由
原判決は特許法第一二六条第二項の解釈を誤り、且つ上告人の訂正請求の「三乃至五度F」を「三乃至五度C」に訂正することは何ら右法条にいう「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更する」でないに拘らず、価値判断を誤り右法条を適用した違背がある。
第一、「三乃至五度F」のFなる記号が「三乃至五度C」のCなる記号の誤記であることは被上告人も認めるところであり、原判決もこの点については同様認定しており争いのない事実である。
第二、<略>
第三、原判決に対する批判
一、原判決はその判決理由に於て次の通り述べている。
「本件発明の要旨を判断するに当り、発明者の内心の意思と明細書又は図面の記載による表示との間に錯誤がある場合に、内心と表示とを合致させて権利者の不利益を免れさせることが、特許法第一二六条第一項に規定されているが、他方審決による明細書の訂正はこれにより蒙る第三者を害してはならないから、同条第二項は誤記の訂正についても一定の制限を受ける」
とし専ら第三者の保護に重点をおいている。
而して特許発明の技術的範囲は明細書中の特許請求の範囲の記載に基いて定められるべきであるとし、「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであつてはならない」とは明細書の「特許請求の範囲」の項に記載された当該発明の構成に欠くことのできない事項について訂正後の明細書又は図面による表示によれば、その内容ことに範囲、性質等を拡張または変更するにいたるような訂正をすることは許さない趣旨と解すべきである、としている。
即ち原判決は端的にいえば法第一二六条第二項は第三者保護のための規定であるから、「特許請求の範囲」に記載された発明の構成に欠くことのできない事項については表示を信頼している第三者を保護するためにこれが訂正は許されないのであるというのである。
二、しかしながら右の如きは全く発明の真の要旨、即ち実質の探究については全く放棄し、専ら第三者保護という仮面にかくれ形式的に判断をした違法がある。
(1) 先づ特許請求の技術的範囲は特許明細書によつて定まるものであるが、これが解釈判断をするに当つては、その記載せる特許請求の範囲等の字句に拘泥することなく、発明の性質及び目的又は発明の詳細なる説明等と相俟つて新規なる考案の旨意を明らかにし、特許権の範囲が定められるべきものなのである。(大正一一年(オ)第一七八号同年一二月四日民二判決、その他前掲第二の二(二)記載判例参照)
従つて本件特許請求の技術的範囲の確定に当つても全文より判断してこれを明確にせねばならぬに拘らず、原判決は単に特許請求の範囲に限られるとの誤つた前提に立つて判断し、ひいては前記第二記載の通りFをCに変更することは単に特許請求の技術的範囲を明確にするにすぎぬものであり、よつてFをCに変更することは当然法第一二六条第二項に牴触しないに拘らず、全文を通じて解釈することなく、単にFをCに変更することは請求の範囲記載の不可欠の事項の訂正であるから許されぬとして形式的に判断した違法が存するのである。
(2) 本件と類似の事例についても左の通り全文から特許請求の技術的範囲を確定し、もつて誤記訂正を認めているものである。
若し原判決の判断のように請求の範囲の項に記載された当該発明の構成に欠くことの出来ない事項の訂正は許されぬとの解釈に立つと引用の審決例もすべて訂正が到底許可せられぬものばかりなのである。
原判決のように狭い、特許の要旨を無視した誤つた解釈に立つと、誤記の訂正は全く誤字の訂正のみに限られてしまい、法第一二六条第一項の誤記の訂正の規定の存在意義が全く没却せられてしまうのである。
1 昭和三十三年審判第三六二号事件(甲十八号証の一、二)
この事件は特許請求の範囲における「約九十度以上」は誤記であるから「約九〇〇度以上に」と訂正し且つ発明の詳細なる項においても同様な訂正をしたい旨の申立に対し、これを認可したものである。この事例においても特許請求の範囲には九十度を意味する事項について何等記載するところがなく、又本件明細書の全文すなわち「発明の詳細な説明」「特許請求の範囲」の各項を通じて、「九〇度以上」と一貫して記載せられてあるに拘らず明細書の全文から九百度の誤記と認定しているのである。又字句の訂正についても不統一を是正するものであるとしてこれを肯定している。
2 昭和三十三年審判第五一二号(甲十九号証の一、二)
この事件は特許請求の範囲その他にある二個のclの内一個をOHに訂正申立をする他明細書中の4種類の部分につき訂正申立をなした事例であるが右1の事例同様明細書全体の記載からみて誤記の訂正であることが明確でありその他の申立事項についても明細書の内容を正確に理解させるために役立つ不明瞭な記載の釈明であるとして訂正申立を認めているのである。
(3) 而して本件特許は、三工程からなつていることは特許請求の範囲に明記せられているところであり、この内第一工程である冷蔵工程が「餅生地を規定の容器に充填して約三日間三乃至五度Cの冷気中に冷蔵する」ことであることは、あられ菓子業者にとつては全くの公知なる事実であつたのである。従つて本件特許においても公知なる工程として三乃至五度Cと記載すべきところを三乃至五度Fと誤記してしまつたものであり、かかる公知なる技術方法の記載部分については当然の誤記として訂正を許可すべきものであり、過去の判例も認容しているのである。
左記に公知技術の訂正許可の判例及び特許権の範囲の特定に関する判例を掲記する。
1 昭和三七年六月二八日東高判昭和三二年(行ナ)第三三号行裁例集一三巻六号一一七八頁
判決要旨、「訂正補充がこれによつて新規な技術方法を開示するものではなく、単なる従来の公知技術方法を記載し、出願方法もこれによるものであることを明らかにするものにすぎないような場合には、明細書が不完全に作成された場合における不明瞭な記載の釈明と解すべく、これによつて要旨の変更をきたさない。」
2 最高昭和三七年一二月七日二小判昭和三六年(オ)四六四号民集一六巻一二号二三二一頁
判決要旨、「いかなる発明に対して特許権が与えられたかを勘案するに際しては、その当時の技術水準を考えざるを得ない。」
以上の審決例及び判例からみても原判決が明細書記載内容を全く無視し、単に特許請求範囲記載の字句のみをとらえて判断した違法なものであることは明瞭である。
以上縷述の如く本件誤記訂正の申立は先例を待つまでもなく法第一二六条第二項の解釈と、本件特許発明要旨を仔細に検討考察すれば、当然認容せられて然るべきものであり原判決は到底破棄を免れぬものである。